【ぼくとコペン】色褪せない曲。しがみつく僕
僕がコペンで出かけるとき、
欠かせないお供が2つあります。
自分で淹れるより美味しいコンビニのコーヒーと、
気分に合わせて作った音楽のプレイリストです。
みなさんも、その時の気分によって聴きたい曲って、
けっこう変わってくるんじゃないでしょうか?
例えば、晴れやかな休日に聴く前向きで明るい曲や
出勤前に気合いを入れてくれる応援ソングなど、
場面によっても、人それぞれだと思います。
僕がふと学生時代を思い出した時にお世話になるのが、
当時聴いていた曲たちを詰め合わせた
「青春」のプレイリスト。
華の高校生活を謳歌していたあの頃を思い出しては、
コペンで流して切なくなって...
「またみんなに会いたいな~」なんて
いつまでもダラダラとしがみついているんです。
とはいえ、年を重ねた今の僕に、毎週しがみつく体力は
なく、また当時とは音楽の趣味も変わってくるもの。
あの頃の若さや活気がなくなってきたのか、音楽にも
だんだん落ち着きと音のやわらかさを
求めていっている気がします。
ちなみに、今おもに聴いているのは、
「比較的落ち着いた洋楽」とでも言いましょうか。
あ。でもこれは決して「インテリア業界に入ったら
これでしょ?」っていう勘違いでも、
「洋楽聴いているオレって?...」なんてステータス
欲しさに言っているわけでもございません。
僕が落ち着いた洋楽を聴く理由の1つとしては、
もしかしたら「歌詞」が大きく影響しているのかも
しれません。
当たり前だけど、メロディに合わせて、日本語の歌詞
にある意味も自然と脳に入り込んできてしまうもの。
たまたま流れた曲が、すごく応援してくる曲だったり、
重めの失恋ソングだったり、せっかくの休日の呑気な
気分が、たちまち急降下するのは必至です。
それだったら、歌詞の意味がわからない洋楽くらいが、
聴いていてちょうど良いってことなんだと思います。
(真面目に英語を習ってこなかった自分に感謝。)
そうやって日本語から逃げてばかりの僕でも、生まれ
育ってきた言葉がときどき聴きたくなってくるもので。
そんな時、僕には決まったルーティン的なものが
あるんです。それは、小さい頃に聞いていた
CDアルバムをかけること。
幼少期に両親がよくかけていたアルバムで、
「田舎の祖父母のうちに遊びにいこう」なんてなれば、
そりゃあもう数えきれないくらいその中をぐるぐると
何十周、何百周も...
そんな幼い頃から身体に染み付いている曲たちは、
僕にとって、懐かしさと安心感をくれる
特効薬的なものでもあるんです。
今やBluetoothをパッと繋いで、好きな曲を
自由にかけられるのに、アナログなCDをわざわざ
実家から持ってきてまでかける。
便利な時代にそぐわない、変なことかもしれないけど、
ただそこには自分だけのCDがあって、歌詞カードが
ついていて、それを開けて挿入して...
この何でもない動作さえも、
ふと味わいたくなるんですよね。
ただ困ったことに、聴かされていた当時は、
大人の世界に存在する難しい言葉や恋愛事情など
まったく理解しておらず。
大声で世に訴えかけたり、片思いへの切ない恋心を
友達に披露してたな...。
今でこそ必要な、自信に満ちあふれた顔で。
でも、今になってその意味に共感できたり納得したり。
「こんなタイトルだったんだ!」なんて知ることも
そんな思い出のCDにあるおもしろさではあります。
時間を経て、その曲自体の見え方が変わってくるのって
便利すぎる今にはない、ちょっと不自由なCDの
魅力なんじゃないでしょうか。
時間がたっても色褪せず、むしろ新しい色に変化する。
そんなCDライフに、これからもしがみついて
いこうと思います。
.....さて、アルバムをひと通り回ったので、
先週リリースされた新曲でも聴いて帰るとします。