【おかえりカラー】「えらいねー」と声をかけるのは、親のエゴなの?
こんにちは。
先日、赤ちゃんに離乳食をあげていて
残さず食べきったので、
「全部食べてえらいねー」
と、声をかけました。
でも、すぐに感じた違和感。
ん、えらい?
全部食べたことが、えらいことなのかな?
的を得ているようで、
どうもしっくり来ない。
そんな風に感じてしまいました。
下の歯がピョコッと生えてきた、9ヶ月ベビーです。
隣りにいた妻にも「えらい」について
聞いてみました。
「私も赤ちゃんが新しいことができたり、
ご飯を食べきったときは、えらいねー!って
言っちゃうけど、親のエゴなのかもね」
「だって、食べて欲しいご飯の量も、
寝返りやハイハイができたことも、
親がそうなったらいいなという
願望が含まれているもんね」
「だから、えらい!というよりは、
がんばったね!というニュアンスの方が
合っているのかもしれないね」
まるで、レム睡眠中に目覚めたかのように
スッキリとする回答。
そんな妻の言葉にうんうんと頷きながら、
それな、それなー、と、納得してしまいました。
恐がることなく、餌やりできました。
そもそも「えらい」という言葉には、
「こちらが意図していることを実践して、
さらには結果まで残してくれて、
よくやってくれました」
そんな、少し斜め上から相手を見るような
意味合いがあると思っています。
実践したことよりも、結果が出たことに
比重がある言葉かと。
一方、「がんばったね」は、
「結果が出ようが出ていまいが、
あなたが行動したことやその姿を見て、
思わず声をかけたくなりました」
そんな、行動した過程を見てくれて、
少しのエールを含んだ優しい言葉のように感じます。
「がんばったね」と言われた方が、
次もやってみようと思ってくれそうです。
生き物に触れる時間を大切に。
この話の流れで、子どもの習い事についても
話し合いました。
「どんな習い事させたい?」
「うーん、運動系かな」
妻の回答を聞く限り、もう少し赤ちゃんの成長を
見てから決めたいらしく、まだはっきりとは
分からない様子。
でも、かつて天才卓球少女と呼ばれた愛ちゃんは、
好きかどうかも分からないままラケットを握らされて、
世界で活躍する選手になった訳で。
きっとその途中の、わりと早い時期に、
卓球が好きになったんだと思うんです。
だから
「好きだから、習わせる」
のも良いけど、
「習わせたら、好きになった」
この順序も、間違いではない気がします。
インテリアも好きになってくれたら嬉しいな。
頭をぶつけながらも、家具の合間を猛進
そんな自分の考えを妻に話したところ、
「それもそうだよね。好きかどうかは、
親の私たちが見てれば分かるよね」
「じゃあ、どんなことをさせたいの?」
僕が子どもにさせたいことは、決まっています。
「ギターです!ピアノでもいいです!とにかく
音楽をさせたいです」
あれ?妻の心のため息が聞こえたような...
「だめです、うるさいです、却下です」
「で、でも、指先を使うから頭が良...」
「そもそも、それはあなたがやりたいことであって、
ただのエゴです。子どもに押し付けないでください」
「い、いや、だから、そうやって選択肢をつぶし...」
「家の中には、私も暮らしています。だから、
私が嫌なことは、子どもにもさせたくありません。
分かりましたか?」
「は、はい...」
こ、こわーー。
何故か僕の好きな音楽のことになると、
キーキーガミガミ言われるんですよね。
「あ、分かってくれればそれでいいんです。
物分かりが良くて、えらいですねー」
「...」
全国の旦那様へ
妻に煽られた時の適切な対処法を
ぜひとも僕に教えてください。
どしどし、お待ちしております。