【にちにちこれ、好日】
別れはただの「節目」。これからも続いていくもの。
みなさんこんにちは。
遠い空と涼風が秋らしさをもたらす10月。
我が家は2年半過ごした福岡を離れます。
率直に言うと、寂しい。
人からすればたった2年半かもしれませんが......。
かくいう私も元々、
2、3年ならばこの新生活は旅情気分で
過ごせるものだと、高を括っていました。
実際に、新しい出会いと発見がコンスタントに続く
1年目は、毎日が浮き足立っていて、
とにかく欲望の充実に忙しい日々。
新しい人とも出会いは折々ありましたが、
いつでも風来坊気取り。
時々地元に帰っては気持ちをだらりとさせて、
まるで遠征感覚で新生活を過ごしていました。
そこから生活が一巡し、
出会った人との関係の積み重ねや、
恒例のイベントや行事を作るようになった頃から、
福岡は自分の街だとじわじわ実感するように。
そのあたりから、帰省時よりも
福岡で過ごす方が楽になったように思います。
街の些細事へのきらめきは少なくなったけど、
この家には常に火が灯されている。
いつからかこの街が安住の地になったのです。
そんな生活三巡目の半ば、
この街で暮らすことが「普通」となった
私たちの日常は、また様相を変えることになります。
以前にいた土地への転居です。
「さよならだけが人生だ」
という言葉があります。
人生には別離は必須、
いつどき別れが来るかわからないからこそ、
今この時を大切にしよう。
という意味合いで浸透している
井伏鱒二・訳詩の一文。
前向きで心強さをもつこの言葉が、
わたしも旦那もとても好きでした。
でも今回の転機において、
私には大事なことがさらにもうひとつあります。
それは「別れは"終わり"ではない」ということです。
別れは「節目」、続いていくもの。
この2年半で経験した出来事、
素敵な人たちとの巡り合わせ。
これで終わりだと惜別を抱く関係ではなく、
これからも宜しく!と言える関係として、
わたしは持ち続けたいなと思っています。
なぜならこの福岡は、
愛すべきもうひとつの故郷となっているから。
「さよならだけが人生だ」
この一期一会的な解釈も好きだけれど、
わたしはもっと人生に執着していたい
のかもしれません。
これまで自分が注いだ愛と努力を大事に。
寂しさもあるけれど、それだけ愛した街と同じくらい
次の街も愛せたらいいなと思います。
なんて、私の新生活への抱負でした。
福岡のみなさん、ありがとう。
また会える日まで!