【にちにちこれ、好日】
好きになるきっかけは、突然に。
みなさんこんにちは。
燕が巣立ちの準備を始め、
日が差す緑地に植った木々が濃くなる6月下旬。
そろそろ(もう既に?)、
冷菜が美味しい季節になりましたね。
八百屋やスーパーで
新しい夏野菜が陳列されているのを見つけては、
「待ってました!」と諸手をあげて喜び、
かごにポイポイ掘り込んでしまいます。
そう、わたしは夏野菜が好きなのです。
夏野菜のいいところといえば、
盛り付けが楽しくなる、彩りの豊かさ。
あとは、手の込んだ調理をしなくても、
夏のかわき疲れた体にしみる、瑞々しさ。
冷えた麺と合う野菜たちをガラスの器に入れたら、
そこに夏のオアシスが生まれます。
映えだ〜!写真を撮ろう!
とシャッターを切って落ち着いていたら、
そういえば、と昔の話を思い出したので
今回はそのことについて綴ります。
わたしがまだ小学生のころ。
実家の地域は住宅街ながらも盆地の麓で、
農地もそれなりに多く、
週1〜2回ほど野菜行商が訪れていました。
わたしは遊びの出がけにたまに出くわすことが
あったものの、普段は家の外壁を伝ってこそこそと、
軽トラをスルーしていたように思います。
(○○ちゃん元気?と話しかけられるのが
億劫な、人見知り児童だったので......。)
そんなもんで、
野菜にももちろん関心はなく、
軽トラの荷台の中を除いた記憶は、
正直全くありません。
ただ、あくる年の夏の日。
たまたま母と一緒に野菜行商に行った際、
「これ食べ」と買ってくれたトマトを、
丸齧りしたあの瞬間は忘れられない。
もちろんとれたて完熟で美味しかった。
でもそれ以上に感じたことは、
普段は盛られて他の惣菜と共におかず然として
並ぶ姿とは、全く別物だということ。
昼下がりの軒先でのトマトは、まさにおやつ。
噛んだ時の甘さも、喉を潤すジューシーさも。
そしてこんなにも、顔と地面を汚しながらも遠慮なく
バクバク食べられる状況が、
とてつもなく感動的だったのです。
その後は和歌山の祖父母の家(農家)で、
野菜の袋詰めをするばあちゃんから、
食べられそうな野菜を手渡されたら丸齧りしていたり。
そういえば実家の冷蔵庫から自ら掘り出し、
これ齧っていい?と母に聞いた記憶もあるような......。
この現象は、いわゆる
「キャンプのカレーが1番うまい」
とほぼ同じだと思いますが、
とにかく美味しくて、なにより楽しくて。
丸齧りにロマンを見出した記憶があります。
そんな思い出を振り返ってみると、
今も名残が残っているなと気づきました。
丸齧りこそはしなくなりましたが、
当時齧っていた果菜どころか、
根菜も葉物も下ごしらえ中に
味見することがしばしばあります。
イレギュラーに食べる野菜。
正直美味しくないときもあるけれど、
あの時の楽しさ優位で
やめられなくなっている気がする。
とはいえ、
調理しておかず然とした野菜も今は大好き。
焼いても煮ても茹でても漉しても美味しい
レシピが無限にあることを知っている今。
きっと同じく丸齧りをしても、
あの頃の感動を得ることはできないと思います。
でも、娘たちはあの頃の私より幼い。
と思ったら一回やってみるかな?丸齧り。
めっちゃ喜ぶかもしれない。
次の週末のプチイベントを目論む、
野菜好きの母でした。