【にちにちこれ、好日】
人とAIとの違いって、何だろう。
みなさんこんにちは。
三寒四温に振り回されながらも
公園の木々の蕾をみつけて、
小さい春を感じる今日この頃。
半年前から私は新しい仕事に挑戦中。
主にWEBサイト制作を行っています。
そんなwebに関する勉強の中で、
「E-E-A-T」という言葉を知りました。
これはGoogleがwebサイトにおいて
重視している概念で、
E → experience(経験)
E → ezpertise(専門性)
A → authoritativeness(権威性)
この3つの上に成り立つものが、
T → trust(信頼)と、4つの要素があります。
と、ここで先にお伝えすると、
webマーケィングについて
これから講釈するわけではありません。
本日お話ししたいのは、
「E → experience(経験)」
についての私の想いです。
experience(経験)は
ここ最近2022年に定められた新しい要素。
2022年と言えば、chatGPTが登場した年です。
正直わたしも、つい手を伸ばしてしまう
チャットボットサービスは、
調べ物だってお手のものだし、
ネタ提供もしてくれる上に返答が早い。
とても便利で、救世主のようにも見えます。
ただ、そのライティング生成に関しては、
どうしても気になる所があります。
それが読み物としてみた時、あくまでも
ベターのラインを超えていない気がすること。
分かりやすく読みやすい。
しかし平坦で、心に残らない。
一方、人が書いた文章はどうでしょう。
エッセイや日常コラムを読むのが好きな
私からすると、わけが分からないことでも、
理解できなくても、人が体験した事ならば、
その不可解も気になっちゃうのです。
少しこじつけになるかもしれませんが、
今と昔を比べた時。
専門性を「知識」とするならば、
欲しい情報をスマホでひと検索して掘れば、
芋蔓式のように際限なく引っ張り出せる
社会になりました。
権威性を「認知度」とするならば、
SNS花盛りの昨今では、以前よりも多くの人が
獲得しやすい社会になりました。
でも経験だけは、
肉体が体験した刺激に基づいたもので、
そこに感情と知恵が合わさった複合的な
産物だと思います。
社会が便利になったって、
その取得方法は変わりません。
そして経験は、すべて最適解を出すとも限らない。
何の肥やしにもならない、辻褄が合わない、
なんて事もたくさんあります。
ただこのナンセンスさこそが、常に最適解を求める
AIが立ち入ることのできない、
人間の不可侵領域なのだと私は思うわけです。
ここの違いが、冒頭のEを付け足した所以なのかな?
なんて、妄想哲学に走っていました。
今は身体を動かさなくても、
なんでもインプットする事ができる時代。
私もついつい娘たちに
タブレットを渡して動画を延々と見せて、
半日を終わらせることがあります。
でも、デジタル機器を通して簡単に頭の中で
疑似体験ができる昨今だからこそ、
アナログでもって身体に受けた五感を、
これからはもっと大事にしていかないといけない。
行動のナンセンスさも不可解さも、
遊びとして楽しめるようにしないと、
頭でっかちになってしまうから。
思考と行動のリズムは、
足並みをそろえておこう。
自戒の念を込めて、
ここに言葉を残しておこうと思います。