【にちにちこれ、好日】
いつも、心のどこかにある風景
みなさんこんにちは。
新春のおめでたい雰囲気は落ち着いて、
平生の暮らしが戻ってすでに久しいこの頃。
鏡開きも終え、我が家では
ぜんざいを美味しくいただきました。
甘党夫婦にはこれが善き哉。なんて......。
さて、今回はそんなお正月についてお話を。
我が家は毎年、和歌山の夫の実家で年越しをします。
そこに夫のきょうだい家族全員が集合するので、
すごーく賑やかな年始を迎えます。
5人の従兄弟たちとの再会に
胸を弾ませていた娘たちは、
畳の広間でかるたをしたり、
独楽を回したり(実際はベイブレード)。
また別の日には、
土手に設けられた広場で凧あげをして、
お正月遊びを満喫していました。
ところで、みなさんにとっての
「原風景」はどんなものでしょうか?
わたしにとって
原風景たらしめるものは、
ある景色を見た時の既視感だと思っています。
昔のことに遡りますが、
わたしは幼少期から
お正月は祖父母の家で過ごしていました。
そこは田畑が連なり、
少し歩くと未舗装の道が始まるような
自然に囲まれた場所。
毎年、弟と近くの冬枯れ山の麓を散策するのが
ひそかな楽しみとしていたのを覚えています。
その山には奥へ進むと大きな貯水池が。
雑草が自生している土手で囲んだ
70〜80m三辺ほどの人工池です。
わたしたちはよく、そこを終点として
午後の陽光に当たりながら、
ぼ〜っとしたり写真を撮ったりと、
つつがない時間を過ごしてました。
黄金色に枯れた雑草とすすきが
日光で眩しく輝いていたあの景色。
あの景色に似たものを見るたび、
終わった過去を辿る事のもの寂しさと、
あの頃の自分への愛しさを感じえずにはいられません。
夫の実家はまさしく
その原風景を体現していました。
子どもたちと凧あげを一緒に楽しみながら、
いつのまにかあの時の景色と重ねて
10代の自分に戻っていたのかもしれません。
童心に帰るきっかけは、懐かしさ。
それを身に染みて感じたお正月なのでした。
そして今は福岡の市街地。
過去に浸る耽美な時間はもう終わりです。
懐かしさにとらわれすぎず、
新しい毎日の出会いに向かって
邁進していこうと思います。