【にちにちこれ、好日】
変わるものと、変わらないもの
みなさんこんにちは。
秋も深まり、往来の街路樹もそろそろ
色づき始める11月。
おうちの前のけやきも順調に
褐葉し始めています。
秋は人恋しく寂しい季節というのは、
おそらく日本人の共通認識だと思います。
それにしてもどうしてそう感じるのか?
人の心は不思議だな〜と思うことのひとつです。
そして私事ですが、
福岡に越して半年が経ちました。
まばたきする間に、
いろんな出来事や感情を体験して
あっという間の半年間。
順調に...と言いたいところですが、
その中で不安から刹那的な行動をして、
疲れて、五里霧中になることもありました。
そして生活のリズムや環境に慣れてきた今、
京都で過ごした過去を懐かしんでは
恋しく思う日もあります。
ただ、そこで何より強く思うことは
わたしにとっての縁(よすが)は
この家族なんだということです。
夫と子どもたち、そしてこの住まい。
家族全員で気持ちを伝え、すごす朝の時間。
子どもたちと遊び、すごす昼の時間。
夫と語らい、すごす夜の時間。
この日常はかけがえのないものです。
そしてこの日常を分かち合い支えてくれる
人たちを大切にしていきたい。
そう心に留めながら、
今日もまた、ありのままに暮らしています。
話は戻り、秋の寂しさについて。
与謝蕪村の俳句にこんなものがあります。
「さびしさの うれしくもあり 秋の暮」
秋の夕暮れで、寂しさを覚えたことに
喜びを感じたという意味だそうです。
気付けばここでの書き物を
始めさせてもらって秋は2回目です。
そして人生に関していうならば30回目です。
そんなに体験していても秋の変わり目は
いろいろなことが終わってしまうような...
そんな寂しい気持ちになってしまう。
「でもそんな時はそれも情緒として
楽しむのがいいんだよ」
と明るいマインドを作ってくれるような、
そんな気がして優しくて面白い句だな〜、
と好きになりました。
同じく環境の変化は寂しさもあるけれども、
だからこそ「今」が魅力的なのではないか?
そう思いながら悔いのないように、
毎日の暮らしに向き合うようにしています。
最後に、このエッセイを通して
定期的にアウトプットできることが
心の整えにもなっているな〜と
ありがたい気持ちでいっぱいです。
またよかったら、
気ままな散文ではありますが
これからもお付き合いくださると嬉しいです。