【ひとり、静かに。】桃色の春、雪をとかして
春は残酷。
いつかに読んだ、詩の一節。
「春は残酷、」
その言葉は、声にした瞬間からこの春まで
私の心の奥にしんと積もったまま、
長い間、溶けずにいました。
4月の初め、桜の花が咲き誇り、
京都は一層、人通りも賑やか。
私は、高揚する気持ちとともに、
何故か無性に悲しくて。
その桃色を目にする度、
心の奥にまた、雪が降るようでした。
「桜は孤独だと思う。
散った途端に、忘れ去られてしまう。」
ある日、友人がぽつりとこぼした言葉。
すごくシンプルで、だからこそ、
言葉にできず積もっていた思いが
すぅっと溶けていくような。
「あぁ、私、覚えていたいんだな。」
そう、気付きました。
京都で過ごす、最初で最後の春。
最後というのは、実は1ヶ月後、
遠くの街へ引っ越すことになったのです。
生まれ育った関西には、
大切な人や場所、時間が溢れていて。
終わりが近いと思うほど、それは一層輝いて。
だけど、知っているんです。
私はもう随分大人で、
後ろ髪を引かれる思いも、
どこかでしゃんと割り切れること。
新しい暮らしにも、きっとすぐに慣れて、
自分なりに居心地の良い場所や
楽しみを見つけながら、笑って過ごせること。
そういうふうに、
今まさに抱きしめている暮らしの温度を、
だんだん忘れてしまうこと。
それはちょうど、
花びらを落とした桜の木のように。
そして、忘れゆくことが
悲しさばかりでないことも知っています。
散った後には、新緑が芽吹いて、
私たちの生活を、そっと彩ってくれることも。
だからこそ、今は、ここでの暮らしを
まとまらない気持ちや矛盾ごと、
できるだけ長く抱きしめていたい。
そう、思うのです。
春は残酷。
軽やかで、鮮やかで、寂しい季節。
さようならまで、あと少し。