【まるく、暮らす。】
いつかは壊れてしまうけど。
ある日、いつもの思いつきで
模様替えを始めていたところ
完全なる自分の不注意でガラスを割りました。
まさに「木っ端微塵」という
表現が似合うほど粉々に。
一瞬、何が起こったか分からず、頭は真っ白。
嘆きながら、落ちた破片に手を伸ばしました。
(買ったばかりのとき。フルーツをいれた様子をカメラに収めていました。)
そのガラスの器は、デンマークの古いもので、
薄く、繊細な感じがとっても気に入っていたんです。
繊細で壊れやすそうだから、他のアイテムよりも
より慎重に扱っていたつもりでした...。
それに、まだまだ試せていない使い方も。
球根の花を活けてみたり、
焼き菓子やゼリーを入れてみたり。
そんな使い方もしてみたい、と思っていたのに...。
(いつの間にか、ここが定位置。ドライフラワーを入れて、ディスプレイしていました。)
「あれ、私は存分に活かしてあげられていただろうか。」
割った後悔と、使いきれていない後悔。
片付けが終わる頃には、その二つの感情が
押し寄せてきていました。
ガラスの器が割れて、1ヶ月ぐらいたったある日。
一緒に暮らしている妹が帰宅し、玄関からは弾んだ声が。
「可愛いのがあってさ〜、はい、誕プレ!」
と何やら大きな袋を渡してくれました。
いつもは欲しいものを伝えているので、
ちょっとしたサプライズに心が躍ります。
なんだろうとワクワクしながら封を解いてみると、
そこに入っていたのは、大きなガラスの花瓶。
「お〜!可愛い!ありがとう。」
と、嬉しい気持ちになりながらも、一方で
心にちくりと引っ掛かるものがありました。
「ああ、ガラスだ...。」
どこか100%は喜べていない自分。
先日、木っ端微塵に砕けたガラスの器の記憶が
思っていたよりも、自分の中で
引っ掛かっているようでした。
「また次の出会いがあるから。」と
自分に言い聞かせていましたが、
いっときは買うのを控えようと
思っていたので、ここで思わぬ対面。
とはいえ、せっかく選んでくれたので
使わなくてはと思い、
後日お花を買ってきて、実際に活けてみました。
すると、飾った様子が思った以上に可愛いくて。
「やっぱりガラス、いいねえ。」
と、にんまりとしながら眺める私は、
すっかり魅力を再確認。
大切なものを壊したショックは大きいけれど、
一度の失態で、この魅力から距離を
置くのはもったいない。
閉じかけていたガラスを好きな気持ちに、
「待った」をかけてもらった気がしました。
いつかは、壊れてしまうもの。
「もう買わない」と決めてしまえば、
こんなに落ち込むこともないのだろうけれど、
それでも、綺麗だと思える瞬間や
ものの魅力が私にとっては日々の活力であって。
だったらせめて、
「使いきれなかった後悔」は無くせるように。
繊細だから、高かったからと
眺めているだけではなく。
たくさん使ってあげることで、
もし壊れてしまっても
感謝の気持ちで見送ることが
できるんじゃないだろうかと。
そう思いながら、
今のお家にあるもの達を
ぐるりと見渡しました。
そういう物との付き合い方や
気持ちでいたいな、と思います。